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SM-Iを運営するmasterのプロフィール

SM-Iを運営しているmasterがなぜSMに興味をもったのか?どんな人間なのかをすごく適当に書いています。

運営者master略歴羞恥プロフ

master(土屋)の本人画像
土屋(ツチヤ)2017年撮影
1967年生まれ、子供のころから人と違った事を好む性格で、すでに用意されているものには関心を持たないという非常に変わった子供でした。ガンプラなどのプラモデルもすでに用意されているものですから、興味を持たずに自分でプラスチックを加工して作り上げていた、まわりからはかなり異質は存在として思われていました。

男の子が「かっこいい!」と感じる感覚が私にはあまりなく、戦隊ものでもモモレンジャーのブーツがカッコいいとか、時代劇の女忍者の網タイツがカッコいいとか、悪の組織の女幹部のエナメル姿がカッコいいと思っていました、今思えば女王様ルックとか派手な女性のかっこうが好きだったってことです。

その反面、魔法少女のヒラヒラな衣装にも「かっこよさ」を感じていました。

この「かっこよさ」がまわりの男友達にとっては理解不可能で、女友達とばかり遊んでいました。

運動はボール系は全部苦手で、野球/サッカー/バスケなどはすべて下手くそでボールを使う競技は全くと言っていいほどセンスのかけらもなかったのです。

しかし、剣道/柔道/空手などは県大会にも出場するくらいの成果を出していました、単純にボールを使うスポーツだけが苦手という事ですね、スケートなども得意でした。

現在男友達は1人だけ、女友達はたくさんいます、男性との会話が苦手で何を話していいのかわからないのと、男同士の話題そのものが私にとっては全く別世界なので基本は女子トークしかできません。

子供らしからぬ幼少時代

子供のころから何事も研究するという癖を持っていて、人間観察にしても同じクラスの男女だけでなく、学校の先生達の考え方や指導のやり方に対しても「おかしい!」と感じたなら速攻で意見を述べる子供でした。

学校側は私のありえない提案を飲み、私のクラスだけは「宿題は自分で作って自分でやる」という方針に切り替わったのです、これがあちこちの学校の先生に影響を与え、知らない学校の先生たちが次々と授業参観に来ていました、結果的に私のクラスの子達は全員が積極的な性格に切り替わりました。

小学、中学、高校それぞれにはないものを残してきました。小学は体育館に学校の校歌がなかったので、卒業の際に6年生全員で校歌の外枠を彫刻刀で掘ったものを贈呈、中学は校舎の増改築に関する議題を提案して校舎の作り直しをおこない、高校では入学と同時に即生徒会に入り、学校にないクラブを次々と作り、学校の校則を作り直すなどしてきました。

小学から高校にかけてはずっとイジメられっ子でした、それは目立っていたからです。

SMにつながったのはヘビィメタルからの影響

ロック時代のmaster10歳の時に押し入れにあったクラシックギターをピアノの譜面を見ながら弾いていました、最初に弾いた曲はショパンの第2番変ホ長調で、この曲をきっかけにモーツアルト、バッハなどの曲を次々と自己流で弾いていきました。

人から教わるのは苦手な性格なので、誰からも教わらずに自分流のギターの弾き方を研究し、中学2年の時に外国のヘビィメタルという音楽に出会います。

ヘビィメタルの衣装は私の理想そのものでした、これ、スカートに変えたらあの超かっこいい悪の組織の女幹部じゃね?と思い、この見た目からヘビィメタルの音楽を追求、自分で初めて作曲したのは中学3年生の時でした。

高校に入ってからは、ラウドネス/44マグナムなどの日本のヘビィメタルバンドや海外ではラット/アルカトラス/オジーオズボーン/ドッケンなどの音楽を好み、私のバンドはそのコピーバンドと私が作った曲のバンドなど色々なハードロックバンドをやっていきました。

この頃からヘビィメタルはハードロックと呼ばれるようになり、高校から大学にかけては革のジャケットや革のパンツを履いて外出するのが定番となり、見た目てきにはパンク野郎のようなかっこうをしていました。

そして後に「ヘビィメタルのかっこよさ」が「SMのかっこよさ」に切り替わったのは言うまでもありません、高校の時からすでにSMじみた事をしていたので、外国のBDSMを自然に知りました。

BDSMを知った時に思ったのは「あぁ~これだったんだ!」です、幼少のころからSMのかっこよさを追求してきたようなもので、その答えが初めてわかった瞬間でもありました。

SMはmasterにとって重要なもの

SMサイトをはじめたのは1995年、このころはネットでSMの情報といえば海外しかなかった、だから海外からのSM情報を集めてHPを作成し、そのリンク集をはじめました。

私が27~28歳くらいの時ですから、かれこれ22年くらい前になります。元々、プログラムでもなんでも我流で覚えてきた私にとって最初に手掛けるホームページはもちろんSMのホームページでした。

HTMLが開発されて以降、SMは雑誌よりもネットが中心になるとわかっていたのです、1997年にはコミュニケーション機能を追加し、2001年にSM藍に名称変更、更にSM-I.netに名称を変更し、現在に至ります。

このSM-I(SM藍)という名称は当時私の会社のスタッフだったおじさんが付けた名称で、私が付けたんじゃありません。

ただ、気に入ったので今までもこれからもこの名称は使います。

今回のSM-Iのデザイン変更でおもに出したかったのは、私自身です。

今までは他人のためにSMサイトをやってきました、でもこれからは自分のためにSMサイトをやっていきたいと考えを切り替えたのです、それでコミュニケーション機能の部分をぜんぶ別ドメインに変えたのです。文字通りSM-Iは完全なmasterだけのサイトに切り替わったわけ。

え?写真出して大丈夫かって?(笑)・・・上にある私の写真は50歳になってから撮ったものです、今執筆しているわずか3ヶ月ほど前の写真なので、ごく最近の私自身の写真になります。

マイナンバーカードを作るために証明写真で撮った失敗作なので、仮に私とすれ違っても気づかないと思いますし、気づいたところでなにかなる訳でもありません。

それに私は独り身ですし、親/兄弟/親戚/友達に至るまでSMをやってます!ってのを知らない人もいません、最初から完全にカミングアウトした上でSMという世界にいるのです。

私はこれからもSMを研究し、追求し、自分の答えがでてもその更に先の未来だけみてSMの世界を楽しんでいこうとおもっています、これからも応援よろしくお願いします^^

SMと恋愛の考え方や好みについてはこちらを参照

こんな長い私のプロフ文章を最後まで読んでくれてありがとう。


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